薬剤師Y子の「どこで働く?」

都内で働く薬剤師Y子が、薬剤師・保育士・看護師・ITエンジニア・医師・歯科医師など多くの方の転職や再就職に役立つ情報を発信するブログです。

私の転職経験 その3 C社の思いやり

薬剤師Y子です。

前回は、私が薬剤師として働いた2番目の会社「大手B社」について書きました。

dokode-hataraku.hatenablog.com

 

その前には、私がワケあって50才を過ぎてから初めて「薬剤師免許が必要な職場」で働いたことを書きました。

dokode-hataraku.hatenablog.com

 

2番目のB社は、最初のA社に比べ大所帯で薬剤師の数も多く、マニュアル化が徹底していました。

1日に3通ぐらい来る本部からの指示メールには「本日の何時までに必ず、これを終えてメール添付の形で報告せよ」などと書かれていますが、それらとは無関係に「現場でも事件が起こる」わけで必ず時間が足りなくなります。両方に対応すべき立場の人が真面目な性格だと、頑張って頑張って、やがて「もう、これ以上は頑張れない」と疲弊して辞めていきます。その人が抜けると、その穴を埋めるために別の誰かが頑張り、やはり疲れ切ってしまいます。

 

私は「遠くのYYY店」に配属された時点で「あ、B社の本部って、こういう感じなのね。ちょっと誠実さに欠けるかな。まあ最初の研修は面白かったし、お給料はA社の時より大幅に上がるし、ここで何人もの薬剤師と知り合えたから、とりあえず働いてみましょうか」という気分でした。

それに何よりも「天寿を全うして旅立った両親(around 90)を見送った後の、いい大人」でしたので、気分転換を兼ねて多めに働き「心地よい疲労感」と「多めの収入」と「多種多様な人たちとの出会い」を得たいというのが本音でした。

 

でもB社のYYY店で「ここでも他店でも皆が疲れちゃって、どんどん辞めていく」のを見ていたら、そのうちに責任ある立場の薬剤師として「一個人には重すぎる荷」を背負う順番が確実に私にも回ってくることを悟らないわけにはいかず、薬剤師の資格とは関係ない「もう1つの、大好きな仕事」を細く長く続けていくためにも、再び「薬剤師としての転職先」を探し始めました。

 

ある休日のこと、ネットサーフィンをしていたら気になる求人情報があったので、クリック。

誰でも読めるように公開されていた情報を読み、さらに詳しく知りたかったら連絡先を入力する必要がある、という流れで、薬剤師の転職先を紹介する会社の◆◆さんと繋がりました。

◆◆さんは私の話を詳しく聞いて、私がクリックした「C社◇◇店」と、同じような条件で複数店の薬剤師求人を出していた「X社の本部」の面接を同じ日に受けられるようにセットしてくれました。「当然のことですが、どちらもイマイチだったら、決めかねています、と伝えて別の職場の面接に臨めるようにしましょうね」と、◆◆さんは言ってくれました。

 

C社の面接担当者が「離れた場所に住宅を購入したので他店に移りたい、と言っている◇◇店の薬剤師の、後任を探しています。実際の勤務先を見て決めて欲しいので、面接の場所は◇◇店です。お給料は、前職のを教えていただいて、下回らないように決めたいと思います」と言っている、と◆◆さんから聞いて「B社とは全然ちがう。なんか良さそう」と感じました。

 

B社の仕事が休みの日に 「C社◇◇店」と「X社の本部」に行き、面接を受けました。両社の面接は対照的で、私は「C社◇◇店」で働くことにしました。

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C社の社風を一言で表現すると「思いやりのある会社」で、◇◇店のスタッフも本部の人たちも「新しく来たY子という薬剤師」の言い分を聞いて皆が平和共存できるように、そして明るく楽しく働けるように知恵を出し合いましょう、という雰囲気でした。

私は60才になるまで約3年間、この「C社◇◇店」で働きました。

皆が自由に意見を述べ、スタッフルームには笑い声が響く、良い職場でした。

 

『60才以降も働き続けるか(その場合、形式上は別会社と雇用契約を結び65才まで同じ条件で働く)、60才で「卒業」するかを選べます』と言われた時には、かなり迷ったのですが「卒業」を選びました。

 

「思いやりのあるC社の◇◇店」で65才まで働くことを選ばなかった主な理由は

 

1.私に期待されていたことの1つが「週に3日は遅番で働けること」で、期待に応えようとすると遅番の週3日は仕事を終えて家に帰り着くのが23時頃になる。その時点で「半端なく空腹」で「ちゃんとした食事」を熱望してしまうので「週に3回も、日付が変わる頃に、決して少なくない量の食事をする」ということになる。そして遅番の翌日が早番だと、必要な睡眠時間を確保するのが難しい。

 

2.トイレ事情が悪すぎる。

 

など、とても分かりやすいものだったので「現場の皆さんも本部の皆さんも好きだったけど、ここで65才まで働くのは体に悪いから卒業させてもらいます」と笑顔で伝え、お別れしました。

もちろん、お別れの日までに、今の職場、D社への転職が決まっていました。

 

「私の転職経験 その4」に続きます。 

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